根本裕幸師匠にデモセッションをしてもらった話。

 

みなさんこんにちは♪

自称レス研究家の心理カウンセラー、よしのです。

 

今日は前回の続き、根本師匠にデモセッションをしてもらった詳細を

書いていこうと思います。

 

初めて師匠のセッションを受けたのですが、緊張もあり、号泣もありで(笑)

覚えていないところも結構あるため

その時の動画を見ながら、実況していきます。

 

あぁ・・・怖い・・・・。

正直見たくないなぁ・・・。

 

 

動画で見る自分。

 

自分の太ましい二の腕が気になって仕方ない(笑)

なんでノースリーブなんて着ちゃってたんだろ(-_-;)

この動画ずっと残るのに、完全に失敗したな(笑)

 

 

では実況ここから。

ちょっと長いので、何回かに分けて書いていきますね。

※青文字の『』が師匠です。

 

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**********

 

「私は、過去の自分を恥ずかしいと思っていて、その自分を受け入れたい。そして自信を持って生きていきたいと思っているので、師匠の力を貸していただきたいです。」

 

『なにが恥ずかしいの?』

 

「私は子どもの頃から家族以外の人にすごく気を遣ってしまっていて、それがすごくしんどかったんです。

 嫌われるんじゃないか?とか、こんなことを言ったら嫌な気持ちにさせてしまうんじゃないか?とか、

 とにかく話しかけるのもすごく緊張してしまって。

 幼稚園くらいの頃から、行くのがすごく嫌で休みがちでした。

 

 こんな感じですごく人に気を遣うのに、親が転勤族だったので、3回転校して4つの小学校に行ったんです。

 新しい環境、全く知らない人たちのところに飛び込むのが、もう本当に心臓がバクバクでストレスが半端なくて。

 でもそれを親には言えなくて、やっていくしかないと思っていました。

 

 小学1年生の終わり、5年生の夏休み、5年生の終わりに引っ越して、小学校最後の1年間を新しい土地で過ごしました。

 

 その1年もやっと終わったと思ったら、今度は中学生になって。

 

 ”また1から関係を築いていかなあかんのか”と思ったら、私の中で何かが切れたんです。

 で、入学式から1カ月経つか経たないかくらいの時に

 

 ”もう学校行かんとこう”って思って、行かなくなりました。

 

 そこから3学期くらいまでいけなくなっちゃうんですけど、

 学校に行けない自分を親には責められる、でも行けない。

 家にも居場所はない。

 勉強はどんどん分からなくなる。

 

 自分以外の人は普通に出来ているのに、自分はそれをすることができない。

 

 そんな自分がすごく恥ずかしいと思っていました。

 

 中学2年生からはなんとか行けるようになるんですけど、でも数学とか英語は全く分からなくて。

 なんとかしたいと思う気持ちはあるけど、誰に助けを求めたらいいのかも分からない。

 自分でもどうすればいいのか分からない。

 だから本当に最低レベルのギリギリの成績で、なんとかクリアしてきたんです。

 

 学校が嫌やっていう割に、なぜか短大まで行ったんですけど(笑)

 

 でもこの”ダメな私”というのが、ずっと自分の中にあって。

 

 社会に出てからも、ずっとそこが引っかかってるというか、自信が持てないんです。」

 

『”そこ”っていうのは、学校に行けないこと?』

 

「学校に行けないのもそうだし、勉強も全然分からないところです」

 

なにか考えている様子の師匠。

 

『今住んでいるところにはいつ来たの?結婚してから?』

『6年生の時に引っ越してきた県にはそれからずっと住んでたの?』

 

その質問に「はい」と答える私。

 

『で、自信が持てない?』

 

「はい」

 

『こうなったのは誰のせいでしょうか?』

 

え!?

 

『①オカン ②ママ ③母親』

 

え!?(笑) そうなの?やっぱり??

 

「母です(笑)」

 

『正解!あいつのせいですね』

 

『それはなんで自分の中でコンプレックスになってると思う?』

 

うーん、なんでだろう???

 

「人ができた事が、出来なかったから」

 

『学校に行けなかったのは1年生の時だけだったの?2年生からはどうだったの?』

 

「あ!2年生からは何とか行けたんです。学年が上がったことで、自分の中ではもうその1年はリセットされたというか(笑)

 休みがちではありましたけど、なんとか行ってました」

 

『行かなくても良かったのにね』

 

「でも2年生からは楽しくなったんです。部活が楽しくなって。」

 

『なんの部活やってたの?』

 

「それ言うんですか!?」←みんなの前で言うことになるとは思ってなかった(笑)

 

『ハードル今すごくあがりましたよ(笑)』

 

「柔道やってました(笑)」

 

『部活に救われるって、結構あるよねー』

 

『そんで、それからもそのことがずっと引っかかり続けてる話ですよね。

 小学校の時とか転校が続いて辛かったというのは、今はそんなに気にならない?』

 

「うーん、そうですね。辛かった、人に対してすごく敏感だったなとは思うんですけど、そこまでは」

 

『今から思うと、その中学生の時の自分ってどうだったと思う?』

 

「疲れてたというか、傷ついてたのかな?と思います。」

 

『親も怒ってたんですよね?学校行きなさい行きなさいって。両親とも?』

 

「それが、父は何も言ってこなくて、母にすべて任せていた感じでした。」

 

『お父ちゃん転勤族だけど何してる人なん?』

 

「サラリーマンです。○○という会社です。」

 

『でかい転勤なの?関西圏だけとか?』

 

「最初は石川県→群馬県→和歌山→滋賀・・・です」

 

『両親はどこ出身なの?』

 

「父は京都。母は石川県です。」

 

出身地でもなにか分かるのかな???

 

『なんで自分はその時代を受け入れられないと思う?』

 

「理想としている自分じゃなかったから・・・(かな?)」

 

『今もそういう理想の自分を追い求めるところはある?』

 

「・・・あるかもしれません」

 

『兄弟はいる?』

 

「弟がいます」

 

『長女かー』

『お母ちゃんはさー、やっぱり教育熱心だったり、厳しかったりした?』

 

「いや、そうでもなかったです」

 

『理想の自分には程遠かったっていうことは、結構期待されたわけではないの?』

 

「弟が個性的な子だったので、結構母は大変だったみたいで。

 母からいつも

 “弟は大変やけど、あんたはいい子だから助かるわ”

 と言われてたので、そうせなあかんねんなと思っていたところはあります」

 

『あー、そこは試験に出るポイントですね』

 

あ、あるあるなのね(笑)

 

 

②に続きます。

 

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1日目の懇親会の時の前菜♪オシャレでおいしいお店でした^-^

 

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

また読んで頂けると嬉しいです♪