私のラスボス、母とのこと④

 

みなさんこんにちは♪

心理カウンセラー/レス研究家(自称)の、よしのです。

 

 

今日は久しぶりに家族3人で京都の鉄道博物館へ行ってきました。

入場制限をしていたので前売り券を買ってから行ったのですが、とても空いていて快適でした!

体験ブースは全てお休みでしたが、すごーくゆったり見れました。

子ども用の遊具のある広場も余裕があって、息子も楽しそうに遊んでいました。

ただ、暑さにやられてしまい、帰ってきてから今までダウンしてました。

マスク、かなり暑いです。

熱中症には気を付けないといけませんね。

 

 

さて、今回も母とのことの続きです。

 

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↑こういう青い色のお花、好きなんですよねー。

 

 

 

母がパチンコ依存症になっていた為、家のお金がほとんどなくなっている状態でした。

そんな中、弟のある件が原因でまとまったお金が必要に。

父からずっとモラハラを受けていた母は、怖くて父にお金がないことを言えませんでした。

追い詰められた母は、私の貯金を勝手に下ろしたり、私の名前で消費者金融からの借金を繰り返していました。

 

今までの記事はこちら↓

 

私のラスボス、母とのこと① - sunny place

私のラスボス、母とのこと② - sunny place

私のラスボス、母とのこと③ - sunny place

 

 

*****

 

父に言われ、なけなしの15万円を家に持っていった私。

 

本当に貯金がゼロになりました。

 

少し前まで100万円くらいあったものが、こんな形で全て失うとは思ってもいませんでした。

 

当時、私はとある販売店に就職していました。

(CMもよく流していた会社で、おそらく皆さんご存知だと思います。そういや最近はあんまりCM見てないなぁ)

 

そこがまぁ、ブラックでした(笑)

 

安い給料で、明け方まで残業しまくってるのに残業代はゼロ。

セクハラ、パワハラは日常茶飯事(笑)

みんな不満が溜まって人間関係も最悪。

 

繁忙期なんてもうフラフラで、たまにある休みは一日中倒れるように寝ていました。

若かったからまだできてたのかもしれません。

今なら2時間で辞めてます(笑)

 

当時はパワハラなんて言葉もなかったので、こういうところも多かったのかも知れませんが、

心身共に、とにかくめちゃくちゃしんどかったです。

 

そんな中でも死ぬ気で頑張ってコツコツお金を貯めていたのに、

結婚以来ずーっと働かず、パチンコばかりしていた母やそれを教えた父。

軽はずみな行動で自分で責任を取れない弟。

 

こんな家族に全てを奪われたこと。

私の名前で借金を背負わされたことがどうしても許せませんでした。

 

 

家族は私にとって敵になりました。

 

 

15万円を持っていったことで、なんとか危機は脱したようでした。

 

その後父は会社の株を売り、借金の返済に充てていたようです。

 

私にも全てではなかったですが、ある程度のお金を返してくれました。

 

「まだもう少し残ってるけど、こっちで全部払うから」

と、父は言ってくれました。

 

でも母に対する怒りは収まることはありませんでした。

 

お金が返ってきた後でも態度を変えない私に

 

「よっちゃん、ずっとそんななの?もうお金返ってきたんだからいいじゃない。お母さんだって悪かったって思ってるよ!」

 

と、逆ギレしたように言ってきました。

 

おそらく、母は私と元の仲のいい親子に戻りたいと思っていたのだと思います。

 

今回のことで罪悪感も死ぬほど感じていたでしょうし、もともと心の弱い人だったので自分を正当化したい気持ちもあったのではないかなとも思います。

 

お金も返したし、もう許してもらえると思っていたのに私の態度が変わらなかったので

焦りや不安、悲しさ、罪悪感がもうぐっちゃぐちゃになり、こんな言い方をしてきたんだろうなと、今なら思えます。

 

要は、私が自分の思った通りにならなかったので拗ねていただけだったのだと思います。

 

私は、自分が一体どういうことをしたのか全く分かっていない母に対し、

心の中が凍っていくような冷めた感覚と、激しい怒りが交互に出てきて、すぐに言葉が出てきませんでした。

 

「自分がどういうことを私にしたのか分かってんの!?結局全部父さんがなんとかしてくれただけやん!自分は何にもしてへんやろ!それやのにその態度なんなん!?ふざけんな!!」

 

気付いた時にはこんな感じのことを言っていたと思います。

 

母は泣きながらまた何か言っていましたが、一秒も一緒にいたくなかったのでまた部屋へ逃げました。

 

 

この後しばらく、家族とはほとんど会話をした記憶がありません。

 

色々あった弟ですが、更に問題が悪化してしまいました。

 

この時、父は毎日県外まで新幹線で通勤していたのですが、

弟のことがきっかけで会社の近くに引っ越すことを決めました。

 

私は就職していたので、1人残ることになりました。

 

とてもホッとしたのを覚えています。

 

やっとこの家族から離れられる。

もう顔を見なくてもいい。

 

お金のことは父がなんとかしてくれているし、多分大丈夫だろうと思っていました。

 

 

でも、甘かったです。

 

母はこの後も色々やらかしてくれます。

 

 

 

⑤に続きます。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

また読んでいただけると嬉しいです♪